2009年05月11日
民主党の小沢一郎代表、いまさら辞任
小沢一郎代表が急遽、民主党代表を辞任することを
表明。なぜ今の時期?というのが一番のポイントだ。
政治献金不正疑惑の渦中で辞任するなら
わかるが、なぜ???
---以下引用---
民主党の小沢一郎代表は11日、党本部で緊急記者会見し、代表辞任を表明した。
小沢氏は「衆院総選挙での必勝と政権交代の実現に向け、挙党一致態勢を
より強固にするため、あえてこの身をなげうち、民主党代表の職を辞することを決意した」と
語った。
------
あれだけ政権奪取を考えていた人だけに
このタイミングで辞任するのがよくわからないよね。
>>>小沢一郎の政権奪取構想
---以下詳細引用---
西松建設事件を受け、党内からも辞任を求める声が出ていた。
会見で小沢氏は「代表にとどまることで、挙党一致態勢を強固にする上で少しでも
差し障りがあるならば、決して本意ではない」と述べ、根強い党内批判が背景にあることをうかがわせた。
決断時期は「大型連休中、ゆっくり考える時間ができた時点だ」と述べた。
一方で事件については「政治資金の問題について一点のやましいところもない。
法律に従ってきちんと処理して報告している」と改めて主張。「政治的な責任で身を引くわけでもない。
私が3年前に代表職を引き継いだ時には1ケタだった支持率は、20%以上の支持をもって
自民党とほぼ拮抗(きっこう)している」と述べ、党内混乱を避けるための辞任だと強調した。
後任の代表については「辞めていく者が次の人について論ずべきではない」と
具体名は挙げなかった。代表選の時期には「補正予算案の衆院での審議が終わるのを待った上で、
速やかに実施していただきたい」と述べた。
◇次期代表、両院議員総会で選出も
鳩山氏は11日夕、党本部で記者団に「国民の皆さんにオープンな姿で、選挙を通じて
新代表を決めたい」と表明した。「できるだけ早く決めなければならない。できれば1週間(程度)で」とも述べ、
党員・サポーター参加の代表選ではなく、国会議員による両院議員総会での選出になるとの見通しを示した。
後任の最有力候補とされる岡田克也副代表は同日夕、国会内で記者団に「熟慮中だ」とだけ語った。
小沢氏は06年4月、偽メール問題の責任を取って辞任した前原誠司氏の後任として代表に就任。
07年7月の参院選を圧勝に導いた。同11月、当時の福田康夫首相との大連立構想に失敗し、
辞意を表明したが、党内で慰留され撤回。それ以降は、08年4月の衆院山口2区補選で勝利するなど
次期衆院選に向けて着々と地固めし、同年9月には無投票3選を決めていた。
表明。なぜ今の時期?というのが一番のポイントだ。
政治献金不正疑惑の渦中で辞任するなら
わかるが、なぜ???
---以下引用---
民主党の小沢一郎代表は11日、党本部で緊急記者会見し、代表辞任を表明した。
小沢氏は「衆院総選挙での必勝と政権交代の実現に向け、挙党一致態勢を
より強固にするため、あえてこの身をなげうち、民主党代表の職を辞することを決意した」と
語った。
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あれだけ政権奪取を考えていた人だけに
このタイミングで辞任するのがよくわからないよね。
>>>小沢一郎の政権奪取構想
---以下詳細引用---
西松建設事件を受け、党内からも辞任を求める声が出ていた。
会見で小沢氏は「代表にとどまることで、挙党一致態勢を強固にする上で少しでも
差し障りがあるならば、決して本意ではない」と述べ、根強い党内批判が背景にあることをうかがわせた。
決断時期は「大型連休中、ゆっくり考える時間ができた時点だ」と述べた。
一方で事件については「政治資金の問題について一点のやましいところもない。
法律に従ってきちんと処理して報告している」と改めて主張。「政治的な責任で身を引くわけでもない。
私が3年前に代表職を引き継いだ時には1ケタだった支持率は、20%以上の支持をもって
自民党とほぼ拮抗(きっこう)している」と述べ、党内混乱を避けるための辞任だと強調した。
後任の代表については「辞めていく者が次の人について論ずべきではない」と
具体名は挙げなかった。代表選の時期には「補正予算案の衆院での審議が終わるのを待った上で、
速やかに実施していただきたい」と述べた。
◇次期代表、両院議員総会で選出も
鳩山氏は11日夕、党本部で記者団に「国民の皆さんにオープンな姿で、選挙を通じて
新代表を決めたい」と表明した。「できるだけ早く決めなければならない。できれば1週間(程度)で」とも述べ、
党員・サポーター参加の代表選ではなく、国会議員による両院議員総会での選出になるとの見通しを示した。
後任の最有力候補とされる岡田克也副代表は同日夕、国会内で記者団に「熟慮中だ」とだけ語った。
小沢氏は06年4月、偽メール問題の責任を取って辞任した前原誠司氏の後任として代表に就任。
07年7月の参院選を圧勝に導いた。同11月、当時の福田康夫首相との大連立構想に失敗し、
辞意を表明したが、党内で慰留され撤回。それ以降は、08年4月の衆院山口2区補選で勝利するなど
次期衆院選に向けて着々と地固めし、同年9月には無投票3選を決めていた。
Posted by BJP at 22:49
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